礼文岳
礼文島の内路(ないろ)から急坂を30分ばかり登るとあとは山頂まで高原状のなだらかな丘がつづきます。山頂まで1時間半を要しました。あいにくガスがかかり眺望は得られなかったのですが晴れていれば利尻山が正面に見えるはずです。この三角点は1899年(明治32)測量師の館潔彦(たてきよひこ)さんにより選点されました。館さんはもと桑名藩士で1871年(明治4)に工部省測量司に任官、その後、内務省、陸軍参謀本部にうつり一等三角点だけでも263選点されました。[豊田友夫:100年前の足跡(一等三角点)陸地測量師館潔彦の場合「測量」2000年2月号 日本測量協会]
利尻 ペシ岬
点名:鴛泊
地図:鴛泊
利尻島の鴛泊港の西にあるベシ岬展望台にあり観光客がたえず来ています。鴛泊の街はもちろん利尻山の展望にも絶好の場所です。この三角点も館潔彦さんが選点したものです。鴛泊港は稚内との連絡船の発着場所でもあり、また漁港にもなっています。港にある漁業組合に併設された食堂では新しいイカや生ウニが食べられます。
利尻 長官山
点名:利尻山
地図:鴛泊
利尻山の鴛泊登山コースの八合目にあたります。展望は利尻山が目近にそびえ鴛泊や沓形方面の街、礼文島が望めます。点名は利尻山になっていますが利尻山の三角点名は利尻絶頂で二等三角点ですがいまは亡失しています。九合目から長官山へ少し下ったあたりでリシリヒナゲシを見つけました。この花はわが国ではただ一種類の野生のヒナゲシで利尻島の特産種です。標高1000メートル以上の砂礫地で7月に開花します。利尻富士町の町花にもなっています。
長官山の名称は1932年(昭和7年)に北海道長官(現在の知事に相当)佐上信一さんがこの地点まで登られたのを記念して付けられたもので佐上さんの歌碑も建っています。
利尻岳登り登れば雲わきて谷間はるけく駒鳥の鳴く 佐上信一
利尻山
点名:利尻絶頂
地図:鴛泊
わたしは1959年に初めて登頂してから42年ぶりになりましたが三角点標石はなくなっていました。当時かなり露出した三角点標石のそばで撮った写真がまだ残っています。今回は頂上の祠の裏で昔の三角点の盤石と思われるものを見つけました。約30センチメートル四方の御影石で中央に+印があります。頂上からは礼文、稚内方面、樺太が望めます。沓形見返台から登り5時間、鴛泊へ下り5時間を要しました。
大雪山旭岳
点名:瓊多窟(ぬたっく)
地図:旭岳
旭岳は北海道の最高峰です。山麓の勇駒別(ゆこまんべつ)からロープウエーを利用し、さらに徒歩2時間で山頂に到達できます。三角点標石のそばには一等三角点「瓊多窟(ぬたっく)」選点100年記念、2000年9月10日国土地理院の説明板があります。写真では三角点標石手前の黒い四角の石板です。この説明板の除幕式の様子は当時の北海道新聞で報道されていますが選点者が館潔彦測量師であることも載っています。[北海道新聞 2000年9月11日夕刊]
初期の点の記によれば選点は1900年(明治33)ですが標石の埋定は翌年になっており、さらに1905年(明治38)に改埋されています。その際、下方盤石については、つぎのような記載があります。
下部ノ大岩石ヲ利用シ之ニ十字ヲ刻セル眞鍮板ヲ埋定シテ下方盤石ニ代用セリ・・・ [陸地測量部:一等三角點ノ記]
わたしが以前に大雪山登山で使用した「大雪山登山案内図」(あさひ出版社 発行年不明)によると大雪山は原名(アイヌ語)でヌタクカムウシュペ山といいヌタクは高原、カムは神、ウシュペは湿地を流れる川を意味します。点名の瓊多窟(ぬたっく)もこのヌタクから命名されたものと思われます。同案内図には測量登山の歴史も簡単に記載されており江戸時代から間宮林蔵、松浦武四郎(ともに間宮岳、松浦岳として大雪山中の山名にもなっています)、明治になってからは米人ライマン、福士成豊などが陸地測量部より以前に踏査しています。
44年ぶりに訪れた大雪山ですが当時、遭遇したヒグマの替わりにキタキツネやナキウサギ、リスなどに出会い、旭岳の山頂では珍種の蝶、ウスバキチョウもみられ雪とキバナシャクナゲ、エゾコザクラ、エゾツツジなど色とりどりの高山植物が咲き乱れるなかで「大雪銀座」を満喫しました。
黒岳(点名:温泉岳6542−47−3301三等)1984.0メートルにも立ち寄りましたが、標石の位置は地盤崩壊のため立入禁止になっており存在さえ確認できませんでした。